2008-03-01から1ヶ月間の記事一覧

《春光を背中に集めランドセル》

季語では春光は春景色の意であったが輝かしい春の陽光の意に用いられるようになりました。 新入生のランドセルが輝いています。 ↑花冷えの 静かな日には クリックを(息子作)

《案内を聞き流し行く花疲れ》

俳句で花といえば桜の花ですが花見で歩き回り帰途は疲れて駅の放送も耳に入りません。 ↑クリックを してくれなくても 桜咲く(息子作)

《風紋の起伏を伝ひ風光る》

以前鳥取砂丘へ行きました。風紋は砂丘の表面などにできた模様ですが、吹きわたる風が光っている様であくまでも感覚的な季題です。 ↑お気軽に クリックしてね 春だから(息子作)

《若武者の悲話を訪ねぬ落椿》

若武者である平敦盛(アツモリ)は平清盛の弟経盛(ツネモリ)の子で一の谷の合戦で源氏の武将熊谷直実(クマガイナオザネ)に討たれ16歳の若き命を落としました。神戸の須磨寺には敦盛遺愛の「青葉の笛」があります。椿は落花するときは花びらが散るのではな…

《ゴンドラに身をまかせ行く山笑ふ》

ゴンドラに命をあずけて昇って行くと眼下には春の山が連なっています。「山笑ふ」という春の季語が楽しく感じられます。 ↑クリックを してもらえれば ありがたや(息子作)

《鋭角に航跡刻み残る鴨》

散歩の途中にある池で見た「残る鴨」の光景です。春になり鴨が北方へ帰って行き広くなった池をあたかも船が進む様に後に航跡を残して自由に行動しています。

《せせらぎに行方をまかす落椿》

浅い瀬である小川に椿の花が落ちて水の流れに身をまかせている状景を句にしました。静寂な風景に心が洗われます。

《漂うて行きつ戻りつ流し雛》

流雛は古代からの祓(ハラ)いの思想が残っており人々のけがれを形代(カタシロ)としての雛にうつして流してしまうものです。すいすいと雛流しができず漂っている様子を句にしたものです。

《薄氷(ウスラヒ)にためらう歩幅二歩三歩》

早春、薄く張る氷に足をとられない様に用心している姿を表現しています。薄氷に対処する用心、そしてまたぐ決断が日常生活にもあります。